映画「クライマーズ・ハイ」
映画「クライマーズ・ハイ」を鑑賞しました。
この映画は、1985年8月12日に群馬県御巣鷹山で起きた日航機墜落事故をめぐって翻弄される地元の新聞記者達の姿を描く社会派ドラマ。
実際に記者として日航機墜落の取材をした作家・横山秀夫が自らの体験を反映した同名小説が原作。
感情が激しく交わる濃密な1週間の人間ドラマがメイン。
ちなみに「クライマーズ・ハイ」とは興奮状態が極限に達し恐怖感がマヒしてしまう事を意味する事です。
自分も興奮状態が極限にまで達する事がよくあります。
もっとも、それはスポーツの試合の生観戦やTV観戦の時とかが主なので恐怖感は感じないし、登山ではないので「クライマーズ・ハイ」とは言えないですね。
ただし、興奮状態が極限にまで達し金銭感覚がマヒしてしまう「ギャンブラーズ・ハイ」にだけは死んでもなりたくありません(爆)
ストーリーは1985年8月12日、乗員乗客524名を乗せた日航ジャンボ機123便が群馬と長野の県境に墜落したとの一報が群馬県の北関東新聞社に入る。
編集部で全権デスクに任命された悠木和雅(堤真一)は記者として扱う一大ニュースに対する興奮を禁じえないが、中央紙とのスクープ合戦や組織や家族との衝突を経て、次第に命の重さに対しわき上がる使命感を覚えていく事になる。
そんな悠木と彼を取巻く人間達との人間関係や新聞記者としての使命の重さなどを、本作品では扱っているわけですが、約2時間半という長い上映時間にも関わらず、その上映時間ですら短く感じてしまう程、本作品に集中して鑑賞していた自分がいました(汗)
1985年の日航機墜落事故・・・。
あの事故当時、自分は小学生でしたが、未だに事故の件はよく覚えています。
死者520人を出す航空機の事故としては史上最大の大惨事で、23年経った今でも事故の直接的な原因は究明されておりません。
航空機墜落の一報を受けてからの1週間を追った作品ですが、実際の起きた出来事を題材にし、作者自身も新聞記者として当時の事故を追いかけていた経験があるだけに、真実味のある作品でした。
地元・群馬で起きた大事故を北関東新聞社全体で追っていかなければいけない所なのに、輪転機の故障で締め切り時間を延長出来ない事を伝えなかったり、凄惨な現場を目の当たりにした佐山(堺雅人)の記事を上からの指示だけで外されたり、締め切り時間を巡って販売部と対立するなど、自分の立場の事しか考えていない人間によって悠木が振り回される事に。
でも、実際の新聞社もこのような感じなのでしょう。
言い争ったりする場面には見苦しさを感じながらも、新聞記者としてのプロ根性も感じさせました。
事故当時は今と違って携帯電話もインターネットもない時代。
情報手段は無線か、公衆電話か民家の電話を借りる程度。
社内に一刻も早く伝えるべく、旅館や民家をあたって電話を借りようと東奔西走する佐山達の姿には当時の情報伝達の難しさを実感。
現場で遺体収容を行っていた自衛官の言葉や、佐山が読み上げる犠牲者の走り書きで書いた遺書のコピーを聞いていると、改めて、当時の事故の悲惨さを痛感させられます。
そのような凄惨な事故から生存者が4人いた事は、やはり奇跡なのでしょうか?
そして、この作品で印象に残ったセリフ。
地元の消防団が「もっと早く来ていれば、20人くらい助けられた。」
事故当時は真夜中だった事を考えると、真夜中に山を登る事はリスクが高いし、報道のヘリも飛ばす事が出来ない。
当時の警察の判断は間違っていないとは思うのだが、それでも、消防の人のセリフを聞いてしまうと、「もしもあの時」を考えさせられる言葉でした。
今回の映画に出演したキャスト達の迫真の演技には、惹き込まれてしまったし、各自が本物の新聞記者に成り切っていましたが、欲を言わせて貰えば、今回の作品に要らないシーンもあったのでは?
それと、終わり方も中途半端だったような・・・。
新聞社内での報道姿勢を描いたシーンは素晴らしかっただけに、余計な演出や中途半端なラストによって損をしてしまったような気がします。
最後に、日航機墜落事故で亡くなった520人の犠牲者に慎んでご冥福をお祈りいたします。
この映画は、1985年8月12日に群馬県御巣鷹山で起きた日航機墜落事故をめぐって翻弄される地元の新聞記者達の姿を描く社会派ドラマ。
実際に記者として日航機墜落の取材をした作家・横山秀夫が自らの体験を反映した同名小説が原作。
感情が激しく交わる濃密な1週間の人間ドラマがメイン。
ちなみに「クライマーズ・ハイ」とは興奮状態が極限に達し恐怖感がマヒしてしまう事を意味する事です。
自分も興奮状態が極限にまで達する事がよくあります。
もっとも、それはスポーツの試合の生観戦やTV観戦の時とかが主なので恐怖感は感じないし、登山ではないので「クライマーズ・ハイ」とは言えないですね。
ただし、興奮状態が極限にまで達し金銭感覚がマヒしてしまう「ギャンブラーズ・ハイ」にだけは死んでもなりたくありません(爆)
ストーリーは1985年8月12日、乗員乗客524名を乗せた日航ジャンボ機123便が群馬と長野の県境に墜落したとの一報が群馬県の北関東新聞社に入る。
編集部で全権デスクに任命された悠木和雅(堤真一)は記者として扱う一大ニュースに対する興奮を禁じえないが、中央紙とのスクープ合戦や組織や家族との衝突を経て、次第に命の重さに対しわき上がる使命感を覚えていく事になる。
そんな悠木と彼を取巻く人間達との人間関係や新聞記者としての使命の重さなどを、本作品では扱っているわけですが、約2時間半という長い上映時間にも関わらず、その上映時間ですら短く感じてしまう程、本作品に集中して鑑賞していた自分がいました(汗)
1985年の日航機墜落事故・・・。
あの事故当時、自分は小学生でしたが、未だに事故の件はよく覚えています。
死者520人を出す航空機の事故としては史上最大の大惨事で、23年経った今でも事故の直接的な原因は究明されておりません。
航空機墜落の一報を受けてからの1週間を追った作品ですが、実際の起きた出来事を題材にし、作者自身も新聞記者として当時の事故を追いかけていた経験があるだけに、真実味のある作品でした。
地元・群馬で起きた大事故を北関東新聞社全体で追っていかなければいけない所なのに、輪転機の故障で締め切り時間を延長出来ない事を伝えなかったり、凄惨な現場を目の当たりにした佐山(堺雅人)の記事を上からの指示だけで外されたり、締め切り時間を巡って販売部と対立するなど、自分の立場の事しか考えていない人間によって悠木が振り回される事に。
でも、実際の新聞社もこのような感じなのでしょう。
言い争ったりする場面には見苦しさを感じながらも、新聞記者としてのプロ根性も感じさせました。
事故当時は今と違って携帯電話もインターネットもない時代。
情報手段は無線か、公衆電話か民家の電話を借りる程度。
社内に一刻も早く伝えるべく、旅館や民家をあたって電話を借りようと東奔西走する佐山達の姿には当時の情報伝達の難しさを実感。
現場で遺体収容を行っていた自衛官の言葉や、佐山が読み上げる犠牲者の走り書きで書いた遺書のコピーを聞いていると、改めて、当時の事故の悲惨さを痛感させられます。
そのような凄惨な事故から生存者が4人いた事は、やはり奇跡なのでしょうか?
そして、この作品で印象に残ったセリフ。
地元の消防団が「もっと早く来ていれば、20人くらい助けられた。」
事故当時は真夜中だった事を考えると、真夜中に山を登る事はリスクが高いし、報道のヘリも飛ばす事が出来ない。
当時の警察の判断は間違っていないとは思うのだが、それでも、消防の人のセリフを聞いてしまうと、「もしもあの時」を考えさせられる言葉でした。
今回の映画に出演したキャスト達の迫真の演技には、惹き込まれてしまったし、各自が本物の新聞記者に成り切っていましたが、欲を言わせて貰えば、今回の作品に要らないシーンもあったのでは?
それと、終わり方も中途半端だったような・・・。
新聞社内での報道姿勢を描いたシーンは素晴らしかっただけに、余計な演出や中途半端なラストによって損をしてしまったような気がします。
最後に、日航機墜落事故で亡くなった520人の犠牲者に慎んでご冥福をお祈りいたします。
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